河内屋社長ブログ蒲鉾丹右衛門の徒然なるままに…

2026.04.06

【追悼】街から酒蔵の灯を消さない男、田中文悟さんへ。

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訃報を聞いたときは言葉を失いました。

4月2日、秋田県横手市の大納川酒造で、田中文悟さんがもろみタンクの中で倒れているのが発見された。

心肺停止の状態で搬送され、そのまま帰らぬ人となった。

まだ49歳。

私より10歳も若かった。

田中文悟さんと初めて会ったのは、2016年の後半のことだったと記憶している。

当時、彼は銀盤酒造の再建に関わっており、いろいろと苦労していた時期だった。

「街から酒蔵の灯を消さない」という信念で酒蔵の再建事業に全力を注ぐ姿は、初対面から強烈な印象でした。

それ以来、定期的に顔を合わせる機会があり、会うたびに、また新しい酒の話が出てくる。

そのエネルギーとスピード感には、いつも圧倒されましたね。

だから、まさか我々のご近所である本江酒造を事業承継するという話を聞いたときは、本当に驚きました。

本江酒造といえば、魚津で唯一残った酒蔵。

富山県内、各地の酒蔵が色々と工夫や特徴を出して元気に活躍している状況の中で、本江酒造は少し元気がない印象は持っていました。

その本江酒造を、田中文悟さんが引き継ぐことになったのが2022年のことでした。

魚津に住む者として、これほど心強いニュースはありませんでした。

日本酒は蒲鉾との相性も良いし、会社的にも本当に心強かった。

蔵の名前を魚津酒造に改め、代表的な酒「北洋」を磨き上げ、その後「帆波」など次々と美味しい酒を世に送り出し、魚津の酒の灯をまた点してくれました。

体は大きく、一見するとパワフルで迫力があるのだが、いざ話し始めると人懐っこい笑顔で場をほぐしてくれる。

ガハハと笑う、あの感じ。

誰からも愛されるキャラクターで、一緒にいると自然と場が明るくなりましたね。

その魚津酒造の日本酒と、河内屋の棒Sとのコラボも実現させてもらいました。

地元魚津の蔵と蒲鉾屋が組む、地産地消のストーリー。

あのときの田中さんの楽しそうな顔は、今でも鮮明に覚えています。

それだけに、今回の事故が信じられません。

仕込みの季節、現場で自ら酒と向き合っていた矢先の出来事でした。

タンクの深さは2メートル以上、中にはもろみが満ちていました。

朝方にひとりで櫂入れをしていたのだろうと想像はつきます。

この工程やこの作業環境の危険度は誰よりも彼が熟知していたはず…。

魔が差したのか?

色々と思うことはありますが、考えたところであの笑顔はもう見れない。

日本酒キャピタルのサイトには、こんな言葉が残っている。

「蔵で寝泊まりをし、蔵人として酒を醸し、杜氏と蔵人と熱く語り合い」——まさにその通りの人だったと思います。

現場主義を貫いたゆえの、あまりにも無念な最期でした。

ご家族の悲しみはいかばかりか。

魚津酒造のスタッフの皆さん、他の蔵の皆さんたちの動揺も、察するに余りあります。

そして何より、田中文悟さん本人が一番無念だったに違いない。

やりたいことは山ほどあったはず。

次の蔵も、次の酒も、次の夢も、まだまだあったはず。

魚津にとって、日本酒業界にとって、本当に大きな損失。

田中文悟さん、文悟ちゃん、お疲れ様でした。

そして、ありがとうございました。

心からご冥福をお祈りいたします。

約束していた新商品は着々と進めていますので安心してください!

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上の写真はその際に文悟ちゃんが「花見に棒Sを持って行きました!」と連絡をくれた写真。

思い出にアップしておきます。