河内屋社長ブログ蒲鉾丹右衛門の徒然なるままに…

2026.05.06

棒Sの履歴書 #2〜波乱の船出と、事件は現場で起きていた。

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棒S(ボウズ)を初めて販売した日は2014年10月4日のことです。

あれだけ苦労して、あれだけ想いを込めて作り上げた商品。 発売に合わせて精魂込めたプレスリリースを書き、各マスコミに送りました。

しかし記事にしてくれたのは北日本新聞さんと北陸中日新聞さんだけ。

正直、マスコミの反応は芳しくなかったですね。

朝刊に小さく掲載された北日本新聞さんの記事を見て棒Sよりも「河内屋さん何か出ていたね」とか、中には「女将が朝からビールを持って乾杯している写真が出ていた」と言われたりしました(笑)。

着々と準備を進めて来たこともあり直営店と地元のお土産店での販売は無事にスタートしましたが、初日から正しく呼んでもらえない。

「ぼうえす」「ぼうのやつ」…まぁ色々と言われました。

これはある意味、私としては想定内として冷静に受け止めていました。

しかし直営店の販売スタッフは苦労したようです。


そして翌10月5日、日曜日。

東京・有楽町駅の前にある交通会館で開催された「富山の酒とかまぼこフェア2014」に、ピカピカの棒Sを持参して乗り込みました。

富山の蒲鉾屋9社、酒蔵15社が一堂に会する大きなイベントです。

ところが会場に着くなり、主催者の一人から開口一番こう言われました。

「河内屋さんどうしちゃったんですか?このデザイン」

怪訝な顔で。「前の方が良かった」と。

理由を聞くと、

「お洒落なものは東京にはごまんとある」

「東京の人は富山の田舎くさい地方色のある感じの方が売れるのよ」

真顔で言われました。

正直ショックでした。

でも同時に「本当にそうなのか?」という気持ちもありましたね。

冷蔵ケースに並んだ棒Sをライバル各社の皆さんが遠慮がちに覗きに来ては、手に取り、無言で去って行く。

酒蔵の皆さんも不思議そうな表情。

とにかく誰も「良い」とは言ってくれませんでした。

その日は当時東京で大学生活を送っていた蒲鉾太郎も呼んで販売を手伝ってもらいました。

が、棒Sよりも息子の方に関係者の注目が集まっていた気がします…(笑)。

いざ会場がオープンしてお客様が押し寄せると、地元より東京の方が反応が良いと感じました。特に女性からの反応は明らかに違った。それだけは救いでしたね。

ただ自分の中では気持ちの整理がなかなかつかないまま、棒Sの東京デビューは幕を閉じました。


魚津に戻ると、今度は地元のお土産店から評判が良くないとの声がどんどん上がって来ていました。

どの店も、どの店も…クレーム?の嵐。

「何があったんだ???」と思いながら、まずは現場に直行しました。

各お土産店の販売員の皆さんが口を揃えて言うことは、全て同じ内容でした。

納品されたダンボールを開けると5種類の棒S。

「全部同じに見える」

「何がどれだけ納品されたかチェックできない」

「文字がヘロヘロで読めない」

実際にその場で見てみると、確かにそうだったんです。

しまいには「前の方が良かった」と言われる始末。

現場には年配の販売員も多いし、老眼の方もいる。リニューアルに否定的な方もいる。デザインを突き詰めた結果が、現場の実務を直撃していた。

事件は現場で起きていた。

蒲鉾屋にとっての繁忙期を迎えようとしていた時期だけにあの瞬間、どうしようかと本当に頭を抱えました。

次回「棒Sの履歴書 #3」では、この現場の混乱にどう向き合ったかなど書こうと思います。