河内屋社長ブログ蒲鉾丹右衛門の徒然なるままに…

2026.08.22

すべては繋がっていた。ダッチハーバー視察の旅、最終回。蒲鉾屋の経営者として見たもの、考えたこと。

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長く続いた「ダッチハーバー視察の旅」シリーズも、いよいよ今回で最終回です。全て読んでくれた方はかなり貴重な存在です(笑)。

思えば、記憶や記録を一つひとつ確かめながら、なんとかここまで書いてくることができました。旅を終えてしばらく経ってから、当時のメモや写真を頼りに、あの日々をもう一度たどり直す。その作業は、いわば旅そのものを”ドラフト”し直すような、私にとって、とても良い時間でもありました。あらためて、この旅に関わってくださったすべての皆様に、心から御礼を申し上げます。

さて、今回は最終回ということで、蒲鉾屋の経営者としての目線から、この旅で感じたこと、考えたことを書き残しておきたいと思います。すり身の仕事の話にとどまらず、もう少し広い話になりますが、どうかお付き合いください。長文です。

まず、大前提として。

私たち蒲鉾業界を取り巻く環境は、この数年、原料の面でもマーケットの面でも、本当に厳しい時代が続いています。今年に入ってからは、中東情勢の緊迫を受けて、さまざまな問題が一気に噴出しました。これは、私自身、33年間の蒲鉾屋人生の中で経験したことのない事態でした。

そのことは、今年だけでも報道でたびたび取り上げられています。

かまぼこ、値上げの春!という報道。
みなと新聞で「値上げ要請〝受けた〟9割超/冷凍すり身、中東紛争響く」という報道。
水産経済新聞で「スリ身も中東情勢禍/東南アジア産搬入に懸念」という報道。
日本経済新聞で「魚すり身、連鎖で高騰」という報道。

冷凍すり身の値上げ要請を受けた業者が9割を超え、日本かまぼこ協会も緊急の声明を出す。そんな、業界にとって大変な危機のさなかに、アラスカシーフードマーケティング協会(ASMI)さんから、視察のお話をいただいたのでした。

私は大学卒業後、自動車業界を経て蒲鉾業界に入りました。この業界に飛び込んだ以上、いつかは自分たちの原料の故郷であるダッチハーバーへ行ってみたい、という思いをずっと抱いてきました。ですから、お話をいただいて、すぐに参加を表明しました。危機の時代だからこそ、この目と足で、原料の現場を確かめておきたかったという思いも重なりました。

ここで、少し歴史の話をさせてください。

そもそも、なぜアラスカ(アメリカ)が、これほどのスケソウダラの一大産地になったのか。その背景には、実にドラマチックな経緯があります。

かつてベーリング海は、日本の工船がスケソウダラを漁獲し、加工までしていた、いわば”宝の海”でした。ところが1976年、アメリカが200海里の水域を設定し、外国船が少しずつ締め出されていきます。当初、アメリカにはこの小さくて足の速い魚を大量に獲り、加工する技術がありませんでした。そこで、アメリカの船が魚を獲り、日本の工船が洋上ですり身に加工する、という合弁事業の時代を経て、やがて漁から加工まですべてをアメリカで完結させる体制(DAP)へと移っていきました。私はそんな頃に何も分からず蒲鉾業界に身を投じたことになります。1998年にはアメリカ漁業法(American Fisheries Act)によって漁獲枠が各業態にきちんと配分され、腰を据えて製品を作れる仕組みが整います。

こうして、かつて日本が開拓し、日本の技術が伝えられたアラスカの海は、今や世界最大のすり身・フィレの産地となったのです。

ただ、ここで私が強く申し上げたいのは、これを”恨み節”で語りたいのではない、ということです。むしろ逆です。すり身を作る技術も、その発想も、もとをただせば日本人のもの。だからこそ、SURIMIでありKAMABOKOであり、今もダッチハーバーの現場には、日本人のテクニシャンや技術者が数多く活躍しているのです。そして、その歴史を受け継ぐ若い世代も、しっかりと育っている。会社は違えど、遠いアラスカの地で、日本人が誇りを持ってスケソウダラという魚に向き合っている。その姿を、この目で見られたことは、私にとって大きな誇りでした。

さて、話を現在に戻します。

面白いことに、アメリカ産の製品でありながら、すり身は今も伝統的に円建てで取引される、という慣習が業界には残っています。かつて、すり身を買うのは日本くらいのものでしたから、価格の主導権は日本側にあり、そのなごりで円建てが続いてきた、といわれます。それは、日本とアラスカの深いつながりの証でもありました。

ところが、です。この記録的な円安が、その長年の構造を、根っこから揺さぶり始めています。

考えてみれば、当然のことです。アラスカで獲れるスケソウダラは今は大半がフィレになります。そして作られたすり身も、もはや、すべてが日本に来るわけではありません。冷凍すり身の使い勝手の良さを、世界中のメーカーが知ってしまったからです。かつて「日本に買ってもらうしかない」買い手市場だったものが、今や、世界中が欲しがる売り手市場へと変わりつつある。そこへ円安が重なれば、ドルを持つ他国の買い手に、価格で負けてしまう。いわゆる「買い負け」です。

では、DAP以外に原料を求めればよいか。日本の蒲鉾業界も、長らくその道を探して来た歴史があります。とりわけ、東南アジアへの依存は大きなものでした。しかし、残念ながら、アラスカのような徹底した資源管理の仕組みが、まだ十分に確立していない産地も少なくありません。あるだけ獲ってしまう。小さな魚まで獲ってしまう。それでは、資源はいずれ枯渇してしまいます。これは、日本を含めたアジア全体が、真剣に考えなければならないことだと思っています。

そして、そこへ追い打ちをかけたのが、今回の中東情勢でした。船の燃料が高騰し、獲れるか獲れないか分からないのに漁には出られない、という声も聞こえてきます。無理もありません。

いや、その影響は、原料だけにとどまりません。中東情勢の悪化は、ナフサの問題までをも引き起こしました。蒲鉾を包むフィルムや包装資材、そこに印刷するインクの原料までもが、思うように確保できない。蒲鉾業界は今、そんな事態にまで追い込まれているのです。

さらに、もう一つ。このところ、魚粉(フィッシュミール)の一大産地であった南米の海が、海洋環境の変化によって不漁に見舞われ、世界の魚粉相場が高騰しています。すると、東南アジアの漁師たちも、魚粉用に魚を獲り始める。魚粉向けなら、細かな選別も、すり身ほどの品質管理もいりません。しかも高く売れる。こうして、すり身に回るはずだった魚までもが、魚粉へと流れていってしまうのです。

中東情勢、為替、そして遠い南米の海の異変。世界のあらゆる変動が、めぐりめぐって、私たちの原料へと連鎖してくる。まさに、すべてが繋がっているのです。海が繋がっているように…。

そんな原料の問題が一気に表面化したのと、ちょうど同じ頃でした。ご近所の歴史ある大きな蒲鉾屋さんが、廃業を宣言されたのです。正直に申し上げて、衝撃でした。世界規模の危機が、統計や相場の話ではなく、すぐ隣の、目に見える現実として、私の足元に降りてきた。そんな思いがしました。

…そんな状況の中での、ダッチハーバー訪問だったのです。

では、実際に現場を見て、何を感じたか。

大きな感想として、まず申し上げたいのは、現場は本当に「フィレ中心」だった、ということです。しかも、欧米でのフィレの需要は、高まるばかり。縮小していく日本の蒲鉾市場とは、まったく真逆の構図がそこにありました。

正直に告白しますと、私は視察に臨む前、フィレというものを、どこか侮っていたのだと思います。すり身は、W値だ、L値だ、ゼリー強度だ、白度だ、夾雑物だ、グレードだと、うるさいほど厳しい品質が問われる。それに比べてフィレは、三枚に開いて終わり。作る側からすれば、楽で、しかも高く売れる。そんなふうに考えていました。

しかし、実際はまるで違いました。フィレの製造には、最後の検品作業に、かなりの人の手間がかかります。一度ラインが動き出せば、休むこともできずに作業し続ける重労働。検品にあたる方が大勢いましたが、その時給は17ドル、18ドルの世界。残業すれば19ドル、20ドルにもなるといいます。ちなみに、アラスカ州の最低賃金は14ドルとのこと。世界一のインフレかどうかは分かりませんが、物価の高い場所で、賃金の高い人たちが作っている。これは、紛れもない事実です。

すり身の製造も、もちろん高度な技術が必要です。ただ、ある意味では、機械が作っている、という側面もある。それに対してフィレは、人の手が作る製品。同じスケソウダラから生まれても、その大変さの質が、まるで違う。現場に立って、私はようやく、そのことを腹の底から理解したのでした。

そして、何より心を打たれたことがあります。

陸上工場、そして母船に工船。それぞれに違いがあることは、このシリーズで書いてきた通りです。しかし、どの会社でも、どの作業者の方からも、その言葉の端々から、私は一貫したものを感じ取りました。それは、高品質な商品をフィレであれ、すり身であれしっかり作り上げるのだ、という、揺るぎない信念であり現場の理念であり、心意気でした。

その心意気は、現場のあらゆるところに現れていました。徹底した資源管理。混獲をチェックする人が、州政府から賃金を得て、厳しく見張っている。過去には、トドを守るために漁獲枠が減らされ大騒ぎしたこともありました。設備の管理も見事なもので、船や建屋そのものは古くても、中の生産設備は極めて最新のものが導入され、清掃も衛生管理も、実に行き届いていました。工船や母船には、海水を真水に変える大きな装置があり、生産に必要な水から乗組員の生活水まで、すべてを賄っている。IT化、DX化も相当なもので、おそらくAIもかなり取り入れているのだろうと、肌で感じました。そして、すり身やフィレだけでなく、魚粉や魚油に至るまで、一匹の魚を無駄にすることなく、ありとあらゆる製品に変えていく。

なぜ、ここまでするのか。想像するに、この地には他に大きな産業がなく、水産という大きな柱を、長く、末永く継続させていきたい…そういう強い意志があるのでしょう。だから、うるさいほど厳しく管理もするけれど、そこにしっかりとお金もかける。実は、私たちが今回このように視察をさせていただけた企画も、アラスカ州政府の補助金がかなり入っていると聞きました。守るだけでなく、伝えることにも投資を惜しまない。その一貫した姿勢に、私は深く感じ入ったのです。

危機の話ばかりを書いてきましたが、この現場の姿は、私にとって、確かな希望でもありました。世界中で原料が細っていくなかで、それでもこのアラスカの海は、資源を守り、品質を守り、この宝の海を長く続けようとしている。だからこそ、この産地の価値は、揺るがない。

最後に、この旅を通して、私が経営者として抱いた、正直な危機感を書いておきます。

それは…もう、円建てで物事を考える発想では、世界に通用しないのではないか、ということです。物価も、賃金も、原料も、すべてをドル建てで考えなければ、この世界の動きには、とてもついていけない。日本の”当たり前”の内側にいるだけでは、見えないものがある。その厳しい現実を、私は産地に立って、痛いほど突きつけられました。

ここで、河内屋自身のことも、正直にお話ししておきましょう。

実は河内屋も、けっして100%スケソウダラというわけではありません。河内屋ならではの味を追い求めて、スケソウダラを中心にしながらも、東南アジア、とりわけタイ産のすり身などを組み合わせて使ってきました。ですから、これまで商品の原料表示は「魚肉(米国、タイ)」としてきたのです。

しかし、私はこの原料事情の悪化を、なんとなく肌感で予感していました。そこで2024年、思い切って、原料表示を「魚肉(輸入)」へと切り替える決断をしたのです。そして2025年の春には、河内屋のすべての商品を、この「魚肉(輸入)」表記に統一しました。私にとっては悩みましたが熟慮に熟慮を重ね痛みを伴う大決断でした。

「魚肉(輸入)」とは、平たく言えば、3か国以上の原料を使う、ということ。つまり今の河内屋は、こうしてさまざまな産地を模索しながら、それでも河内屋の味を守り、高品質で美味しい蒲鉾を作り続けようと、日々努力を重ねているのです。

とはいえ、です。その中心にあるのは、やはりベーリング海のスケソウダラにほかなりません。正直に申し上げます。ベーリング海のスケソウダラのすり身なくして、河内屋の蒲鉾は作れないのです。

それでも。いや、だからこそ、河内屋はこれからも、高品質な原料を使い、美味しい商品を作り続けていきます。あれだけの環境で、あれだけの人たちが、苦労を重ねて製造してくれる冷凍すり身です。それを、大事に、無駄なく使わせていただく。そして、私たちが作った商品もまた、廃棄されたり、捨てられたりすることなく、お客様に喜んでいただける、価値ある商品にしていく。

ベーリング海や世界各地も含めて、原料の作り手と、この富山・魚津の作り手が、「良いものを大事に作る」という一つの心で繋がって行けるように努力して行きたい。その繋がりを、この厳しい時代だからこそ、守り抜いていきたい。

思えば、蒲鉾業界も、河内屋も、これまで幾度となく、困難な時代をくぐり抜けてきました。そのたびに、先人たちは、知恵と工夫で、道を切り拓いてきたのです。ならば、私たちも同じこと。この厳しい時代を、私たちもまた、知恵と工夫で乗り越えていくしかありません。いや、きっと乗り越えられると、私は信じています。

そんな決意を、あらたにした旅でした。

改めてご一緒させていただいた株式会社スギヨの守さん、生地蒲鉾有限会社の中陳さん、伏見蒲鉾株式会社の橋爪さんに感謝。

そしてお世話いただいたアラスカシーフードマーケティング協会(ASMI)の家形さん、Gregさん、Annaさんに感謝。

最後に羽田空港からフォローしていただいたUmios社の小松さんをはじめ現地で視察させていただいた全ての関係者の皆さんに心からの感謝を込め、長い「ダッチハーバー視察の旅」シリーズを終了したいと思います。最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。